ドラクロワと『ファウスト』
私は今回の展覧会で、ドラクロワの『ファウストとワーグナー』の作品解説に携わった。そこでドラクロワと、彼の初めての連作リトグラフ作品であるゲーテの『ファウスト』の挿絵について書かせていただく。
ドラクロワは、1798年にパリ近郊のサン=モーリスで生まれ、フランスの新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランのもとで本格的に絵画を学ぶ。初期の作品には、ラファエロや、バロック画家のピーター・パウエル・ルーベンスなどの影響が見られる。
1824年に制作した《キオス島の虐殺》で彼は市民の注目を集めるようになる。本作で新しいロマン主義スタイルの代表的画家として評価され、作品は国が購入することになった。その後の1830年の七月革命に際しては、有名な『民衆を導く自由の女神』を制作している。
1830年代以降は、リュクサンブール宮殿、パリ市庁舎など、政府関係の大建築の装飾を数多く手掛け、1863年に死去するまで旺盛に制作を続けた。
今回展示する『ファウストとワーグナー』が制作されたのは1828年であり、これは『民衆を導く自由の女神』が描かれる2年前ということになる。1825年に彼はイギリスへ旅行したが、現地でイギリス絵画の色使いや処理を見たことは彼によるロマン主義の確立に大きな影響を与えることとなった。ロマン主義の特徴といえば、力強いタッチとダイナミックな筆使いだが、リトグラフ作品である『ファウスト』挿絵でもこの特徴は表れているようにみえる。この一連の作品は酷評され、経済的成功も収められなかったが、ゲーテは、ドラクロワの特質である「荒々しさ」を『ファウスト』には最適の偉大な才能と評価したようである。一方で、リトグラフという手法は1796年、ミュンヘンの俳優で演出家のアロイス・ゼーネフェルダーによって考案されたため、『ファウスト』の挿絵が作られた当時はまだかなり新しいものであったと考えられるが、リトグラフの代表作として名をのこすようになったのである。
ドラクロワと『ファウスト』の挿絵について深く掘り下げたが、一般的に評価されている画家の作品の様々な面を知ってみると、より作品を多くの視点から見ることができる。皆さんも展覧会などで目に留まった作品があれば、是非その作者や背景について調べてその作品をより楽しんでみてほしい。



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